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校章・ブランドマーク等の使用について
本学の校章・ブランドマーク等の使用にあたっては、法政大学への申请および许诺が必要です。
申请方法
◆本学教职员および本学付属校教员の方…このページの一番下にある「教职员専用ページ」からお入りください。
◆本学教职员でない方は、下记一般の方向けページより申请ください。
お问い合わせ先
法政大学 情报発信スペース(一口坂校舎1阶) 03-3264-9396
(夏期・年末年始休暇期间中は许诺に时间がかかりますのでご了承愿います。)
※本学学生・卒业生の方は、下记のとおりお问い合わせください。
授业ゼミ、研究室など授业关连での学生の使用・・・各学部・大学院窓口
サークルなど课外活动での学生の使用・・・各キャンパスの学生センター
体育会(OB含む)での使用・・・各キャンパスの保健体育部
卒业生の使用・・・卒业生・后援会连携室
校友会の使用・・・校友会事务局 03-3264-1831
法政大学のスクールカラーは、オレンジと绀(法政ブルー)です。古い応援歌の歌词によると、2つの色は「暁(あかつき)の太阳」と「青空」を表しています。法政ブルーの色合いは、紫より浓い青紫です。
印刷番号は、オレンジがDIC161(4色分解/Y100%+M60%)、ブルーはPANTONE280(4色分解/C100%+M90%)。
法政大学の校旗は、松室学长の时代、大学令の施行によって名実ともに大学に升格した1921(大正10)年4月、现在の千代田区富士见に第一校舎が新筑された时に初めて作られました。
大学ともなれば校旗がなくては…ということで白地の塩瀬に、松室学长の书道の先生であった小野钟山が、墨痕鲜やかに「法政大学」と大书したもので、日の丸の国旗と同型でした。「大正大震灾の复兴に尽力した」ということで、东京市长が都下の各大学を招いて感谢会を开いた时、法政の代表学生はこの校旗を先头に出席しました。しかし、この校旗は1945(昭和20)年5月25日の空袭で、本学校舎とともに烧失してしまいました。
二代目の校旗は、1947(昭和22)年に当时の学生课长が学生自治会と相谈して、学生から5銭、10銭と醵金(きょきん)を集め、高岛屋に依頼して作ったものです。図案は校章とスクールカラーを配することを条件として高岛屋に一任したもので、制作费は15,000円でした。
三代目となる现在の校旗は、二代目のデザインを踏袭して2008年1月に作制されたもので、2008年3月の学位授与式で初めてお披露目されました。
校旗が学位授与式・入学式で使用されるのに対し、略旗はその他の大学主催の行事および校友の会合において、大学のシンボル旗として使用されています。
略旗のデザインの起源については、もともと応援団の「団旗」によるものと考えられますが、寸法などが不明确であったため、1990(平成2)年、正式に縦180cm、横270cmとし、また中央の「H」の位置をはじめとする细かな寸法も定められました。
1958(昭和33)年、それまで学部ごとに作られていたバッジを统一しようと、学生から図案を募集しました。数多くのアイデアの中から、経済学部第二部3年生の宇津木牧男くんの作品を原図案として、のちに东京オリンピックのシンボルマークをデザインした亀仓雄策氏にデザインを委嘱、现在のバッジができました。
法政大学のスクールカラーである法政ブルーとオレンジを使い、法政ブルーの地にオレンジ色の「H」の文字をあしらっています。
この校章は大正8(1919)年、大学令による大学予科が设置されたとき、法政大学予科の徴章として制定されたもので、现在は法政大学高等学校、第二中・高等学校の校章になっています。
徴章の中心に「Hosei」の头文字の"H" 、下は「University」の头文字の“U”を表わし、上に王冠をいただいています。この王冠はフランス型の王冠で、法政大学の前身东京法学社が明治13(1880)年に设立され、自由民権と人类普遍の自然法を讴歌したフランス法思想を命脉として、教学の指导者にフランス人法学者ボアソナード博士があたったことから、フランス型の王冠にしたと伝えられています。
※この校章は学校法人法政大学の登录商标です。
付属校として诞生した翌年の1950(昭和25)年4月に制定されました。
全体の形は盾で、Chastity(清纯)をあらわします。HOSEI UNIV.の地の水色は清らかさを、文字のオレンジは情热をあらわしています。左上はクラウンHで、法政大学の伝统ある纹章です。右下のSは高等学校(Senior)を表します。
※この校章は学校法人法政大学の登录商标です。
法政大学中学校の校章は、现在の法政大学高等学校の前身である旧制の法政中学校の校章を引き継いだものです。
これは学制が旧制から新制に変わる中で、本来なら新制の高校へと引き継がれるところですが、当时は新旧学制の変更や旧制の法政大学商业学校との再编の狭间で、前身を问うのではなく、同じ「中学」としての校章が引き継がれました。
※この校章は学校法人法政大学の登录商标です。
さまざまな方面でエネルギッシュに跃动する法政大学の姿を、Hの文字でシンボリックに表现しました。つねに挑戦を続ける行动力とそれによってもたらされる可能性や柔软性、その広がりをデザインしています。
法政大学として积极的な情报発信をする际に使用する约束(将来にわたって本学が果たすべき役割や提供する価値を约束として取り缠めたもの)です。法政大学のブランド価値を端的に、大学内外を问わず、伝える役割を担います。また「法政大学宪章」の本文ともあわせて使用します。
2008年、学内公募により「法政大学环境改善活动推进キャラクター」として决定。
2013年11月大学キャラクターとなりました。