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日本アカデミー赏公式サイト
第17回日本アカデミー赏优秀作品一览に戻る
日时: 1994(平成6)年3月17日(木)
场所: 新高轮プリンスホテル 国际馆パミール
司会: 高岛忠夫/南野阳子

优秀作品赏
最优秀赏/优秀赏
(C)松竹(株)

最优秀作品赏 「校」


ゆとりの无い现代の教育の场からはみ出してしまった人たちが通う夜间中を舞台に、そこでぶ生徒たちと、教える先生との心の交流を描く。日本人の良心を 描き続ける映像作家・山田洋次が、15年前から映画にしたいと思い続けたテーマ「人间にとって本当の幸福とは」を问いかけ、人间讃歌として感动を呼んだ。(松竹=日本テレビ放送网=住友商事)

优秀作品赏 「月はどっちに出ている」


样々な人种が暮らす都市・东京を舞台に、在日コリアンのタクシー・ドライバーが遭遇する悲喜剧を大胆な视点でとらえたコメディー作品。梁石日のベストセラー小说「タクシー狂想曲」を、エネルギッシュな映像作りで知られる崔洋一が监督。ブラックな笑いと哀愁を含んだ型破りのエンターテインメントとして高い评価を得た。(シネカノン)

优秀作品赏 「虹の桥」


江戸时代の京都を舞台に、长屋に生まれ育った子供たちがどのように青春を过ごし、自分の人生をつかみ取っていったかを描く。泽田ふじ子の同名时代小说を 5年ぶりにメガホンをとる松山善三监督が映画化。时代剧には初挑戦の松山监督だが、そのヒューマニズムにあふれた视点で若者たちを描き、生き生きとした青春群像に仕上がった。(小川企画)

优秀作品赏 「仆らはみんな生きている」


架空の南国・タルキスタンを舞台に、内戦に巻き込まれた日本人サラリーマンのあわてふためく姿をユーモラスに描き出した一大娯楽作。监督・滝田洋二郎、脚本・一色伸幸のヒットメーカーがコンビを组んで、おおらかな笑いを提供している。タイにオールロケを敢行し、隠れ基地を丸ごと作るなど、大规模なロケセットも话题となった。(松竹)

优秀作品赏 「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


日本に西洋音楽を积极的に取り入れ、世界を目指しながらも23岁の若さで病に倒れた音楽家・滝廉太郎。映画では廉太郎を中心に明治という时代を激しく生き抜いた若者たちの青春が鲜烈に缀られていく。廉太郎が作曲した「花」「荒城の月」と共にクラシックの名曲の数々が织りこまれ本格的音楽映画としても话题を呼んだ。(东映=日本テレビ放送网)
优秀监督赏
最优秀赏山田洋次「男はつらいよ 寅次郎の縁谈」「校」


国民的映画「男はつらいよ」シリーズも「~寅次郎の縁谈」で第46作を数えた。その25年の歴史の中で「幸福の黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」「息子」などの名作に日本人の心を描き続けてきた山田监督。夜间中を舞台に、现代人が忘れかけてしまった大切ななにかを描こうと决意してから15年の岁月を経てようやく完成した「校」は日本中の感动と共感を呼ぶ作品となった。(1931年 大阪府)
优秀赏崔洋一「月はどっちに出ている」


监督デビュー作「十阶のモスキート」から一贯して紧迫感あふれるハードボイルド・タッチの作品を次々と手挂けてきた。本作では初めてシリアスとコメディーが同居した作品に挑戦し、见事なエンターテインメント作品に仕上げ、初の监督赏受赏となった。これまでにない视点から在日外国人の世界を描き出し、日本映画界に一石を投じたといえるだろう。今后の活跃が益々期待される。(1949年 长野県)
优秀赏泽井信一郎「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


今回は「わが爱の谱滝廉太郎物语」で、作曲家として知られる廉太郎を“演奏家”としての视点からとらえ、本格的音楽映画を完成させた。これまでにも「福沢谕吉」など歴史上の人物のドラマを描き、ツボをこころえた人间描写には定评がある。若い顷から文でも音楽でもドイツ的なものに憧れていたという泽井监督は「仆の憧れが结実した作品」と语っている。(1938年 静冈県)
优秀赏滝田洋二郎「眠らない街 新宿鲛」「仆らはみんな生きている」


成人映画を多数演出后、1986年に初の一般映画「コミック雑志なんかいらない!」を演出。ニューヨーク映画祭で绝赞されるなど、内外で评判を呼んだ。以后もヒット作、话题作を次々と监督し、日本の映画界に新风を巻きおこしてきたひとりである。今回はコミカルな「仆らはみんな生きている」、ハードボイルドな「眠らない街 新宿鲛」とタッチの违う2作 品での受赏となった。(1955年 富山県)
优秀赏松山善三「虹の桥」


脚本家として木下惠介、成瀬巳喜男、川岛雄三といった名匠の作品を数多く手挂けた后「名もなく贫しく美しく」で监督デビューして以来33年。「典子は今」「母」などの杰作を生み出してきたベテラン、松山善三监督が「虹の桥」で初めて时代剧に挑んだ。原作に感动し、5年越しの思いが実った映画化だけに涙と笑いと感动に満ちた娯楽作が诞生した。(1925年 兵库県)
优秀脚本赏
最优秀赏山田洋次/朝间义隆「男はつらいよ 寅次郎の縁谈」「校」


细かいセリフまでも一绪に考え、「男はつらいよ」シリーズを始めとする数々の山田作品を作り出してきた名コンビ。今回が6回目の受赏となったが「校」では7~8人の登场人物のドラマを一晩という时间の枠の中で描くという新しい形に挑んでいる。「いつか映画にしたいと山田监督があたため続けていた作品で受赏できたことがうれしい」と朝间氏。(1931年 大阪府)(1940年 宫城県)
优秀赏一色伸幸「卒业旅行 ニホンから来ました」「仆らはみんな生きている」


軽妙な会话とテンポのよいドラマ展开で若者からの支持を集めている期待の若手ライター。今回は「卒业旅行ニホンから来ました」「仆らはみんな生きている」の2本共にタイでロケした作品であり、タイという国の懐の深さに感谢しているという。また「仆らは~」は企画から6年にしての実现で、「作品が出来ただけでも嬉しいのに、受赏によってより思い出深いものとなりました」と一色氏。(1960年 东京都)
优秀赏郑义信/崔洋一「月はどっちに出ている」


「小さな确信、小さな话、小さな舞台でスタートしたこの物语を高く评価していただき嬉しいかぎりです。剧场内に涡巻く笑いと热気に感动しています」と崔监督。共同脚本で、剧作家である郑氏は「ずっと映画の仕事をしたいと思っていました。その1本目で受赏でき、嬉しいです。これを励みに顽张ります」と语る。(1957年 兵库県)(1949年 长野県)
优秀赏松山善三「虹の桥」「望郷」


监督作「虹の桥」と「望郷」の2作で初受赏を果たした。今回の受赏について「まもなく 70岁を迎える身として、常に时代から遅れてはいないか、ズレてはいないかと自问していたが、监督作にあわせて提供した作品での受赏は、ライターとして现场で通用するということへの励ましの赏と受け止めた」と语った。対象作は2作とも青春の息吹にあふれ、変わ らない豊かな感性を证明した。(1925年 兵库県)
优秀赏宫崎晃/伊藤亮尔/泽井信一郎「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


「わが爱の谱滝廉太郎物语」では“音楽映画を作りたい”を目标に、宫崎、伊藤、泽井の3氏が共同で脚本にあたっている。今回は廉太郎を“一流のピアニスト、演奏家を目指す青年”という切り口に绞り、単なる伝记映画とは一线をかくす仕上りとなった。「赏をいただけたのも映画の成功あってこそ。スタッフ全员のおかげです」と3氏。(1934年 东京都)(1936年 山口県)(1938年 静冈県)
优秀主演男优赏
(C)日本アカデミー赏协会
最优秀赏西田敏行「校」「钓りバカ日志6」


昨年の主演・助演ダブル受赏に続いて、4度目の受赏を果たした。寅さんと并ぶお正月の颜となった「钓りバカ日志6」と「校」の山田作品での受赏だが、「校」では持ち前のキャラクターを生かして温かく生徒を见守り続ける夜间中の教师を热演。人间的魅力にあふれ、教えることへの情热に満ちたその教师像は、山田监督がこの作品で诉えたかったテーマを见事に体现していた。(福岛県出身)
优秀赏风间トオル「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


冈本喜八监督の「大诱拐」で主人公の青年を好演し、以来、目覚ましい活跃を见せている期待の若手である。受赏作「わが爱の谱滝廉太郎物语」では若くしてこの世を去った才人・廉太郎を演じ、静かな中にも情热を秘めた演技を见せている。また、ピアノを弾くシーンでは见事な手の动きを见せ、観る者をうならせた。今后の成长が楽しみな役者の一人である。(神奈川県出身)
优秀赏真田広之「眠らない街 新宿鲛」「仆らはみんな生きている」


アクションスターから出発し、最近ではシリアスからコメディーまでを幅広くこなす役者として注目されている。今回は滝田洋二郎监督と2作品で颜合わせ。「仆らはみんな生きている」では内戦に巻きこまれ、あわてふためくサラリーマン、「眠らない街新宿鲛」では夜の街を舞台に戦い続ける阴ある男と、异なるタイプの主人公を见事に演じ分け、3度目の受赏となった。(东京都出身)
优秀赏松村达雄「まあだだよ」


映画俳优としてのキャリアは今年で35年。日本アカデミー赏には初登场だが、舞台、テレビ、映画にと幅広く活跃し、「男はつらいよ」シリーズの“2代目おいちゃん”役に代表される味わい深い演技に定评がある。受赏作「まあだだよ」では、随笔家、内田百闲に扮して、戦争をくぐり抜けながらも自由な精神を失わず、教え子たちと温かい交流を持った爱すべきキャラクターを热演した。(神奈川県出身)
优秀赏三国连太郎「大病人」「钓りバカ日志6」


第13回の「利休」、第15回の「息子」で最优秀主演男优赏を受赏するなど、その演技力は谁もが认めるところ。今回は、すっかりお正月の颜として定着してきた人気シリーズ「钓りバカ日志6」と、癌患者として生への葛藤を见せた「大病人」の2作での受赏となった。人间の本质に迫ることのできる役者として、その技量には益々磨きがかかってきた。(群马県出身)
优秀主演女优赏
(C)日本アカデミー赏协会
最优秀赏和久井映见「虹の桥」


一昨年には新人赏と最优秀助演女优赏を受赏、初々しい涙を见せた受赏シーンが思い出されるが、わずか二年后の今回は「虹の桥」で主演女优赏を获得。人気・実力ともに若手ナンバーワンとなった。江戸时代、京都の长屋で生まれ育った少女が、大人へと成长していく样子を演じた「虹の桥」では时代や贫困にも负けず、力强く生きていく姿に、和久井自身の持つ芯の强さが感じられた。(神奈川県出身)
优秀赏岩下志麻「新・极道の妻〈おんな〉たち 覚悟しいや」


今回、受赏作となった「新・极道の妻たち覚悟しいや」は、本人の当たり役で、シリーズ中4度目の“极妻”主演となった。今回は、一度は女として生きる决意をしながらも、自ら戦いの中へと飞び込んでいく女性を演じ、贯录ある演技を见せ付けた。艳やかさ、华やかさの中にもキリッと芯の通った姐さん姿に新たなファンが急増中である。(东京都出身)
优秀赏吉永小百合「梦の女」


昨年の「外科室」に続いて、同じく坂东玉三郎监督による「梦の女」で7度目の主演女优赏に辉いた。前作では悲恋に身をこがす贵妇人を演じたが、今回は侍の娘ながら幼子を抱え、娼妇に身を落とす女の役。玉三郎监督自身が新派の舞台で演じ続けてきた难しい役どころに挑戦し、见事に监督の描きたかった『日本の女の风情、美しさや哀感』を表现した。(东京都出身)
优秀赏ルビー・モレノ「月はどっちに出ている」


友人が所属するプロダクションの社长に请われて女优デビューしたというモレノは、映画「あふれる热い涙」、テレビドラマ「爱という名のもとに」などで活跃。第一线の女优として急成长中の存在である。タガログ语、英语、日本语を操る才媛でもあり、今回の映画では新たに“大阪弁”に挑戦。明るさとたくましさを兼ね备えたヒロインを热演し、存在感を见せつけている。(フィリピン出身)
优秀赏鹫尾いさ子「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


映画のみならず、テレビ、CMなどでも活跃中の若手である。受赏作「わが爱の谱滝廉太郎物语」では、廉太郎のライバルでもあり、また彼に强く惹かれていくヒロイン・ユキを演じて、嬉しい初受赏となった。剧中ではベートーベンの「热情」を弾きこなすという难しいシーンにも挑戦し、ひたむきさの中にも爽やかさを感じさせるヒロイン像を造り上げている。(新潟県出身)
优秀助演男优赏
(C)日本アカデミー赏协会
最优秀赏田中邦卫「校」「子连れ狼 その小さき手に」「虹の桥」


日本を代表する名バイプレイヤーとして、いつも作品に深みと味わいを与えてきたベテラン。助演男优赏は4度目の受赏となる。今年度の対象作品は、「校」「子连れ狼 その小さき手に」「虹の桥」の3作。「息子」に続く山田作品「校」では、不幸な生い立ちに苦労を重ね、夜间中の生徒としてようやく心の拠り所を见つけた矢先に病に倒れる中年男を好演した。(岐阜県出身)
优秀赏岸部一徳「帰ってきた 木枯し纹次郎」「教祖诞生」「病で死ぬということ」「仆らはみんな生きている」「水の旅人 侍KIDS」


グループサウンズ“ザ・タイガース”のリーダーとして活跃した后、俳优に転向した。现在では、个性的なキャラクターの持ち主として活跃中である。今回は「帰って来た 木枯し纹次郎」「教祖诞生」「病で死ぬということ」「仆らはみんな生きている」「水の旅人 侍 KIDS」と样々なタイプの作品に出演し、懐の深さを见せた。独特の存在感を持つ贵重な役者の一人といえる。(京都府出身)
优秀赏高嶋政伸「虹の桥」


第14回の新人俳优赏受赏以来、芸能一家の末っ子として、もって生まれた才能を生かす活跃をテレビや映画で见せていたが「虹の桥」で実力が认められタイトルを手にした。今回の役どころは、妹を游廓に売ろうとした父や义母を怒りの余り杀してしまう青年という难しいもの。日顷见せる明るい热血青年风のキャラクターとはひと味违う表情豊かな热演ぶりが目を引いた。(东京都出身)
优秀赏所ジョージ「まあだだよ」


歌手・コメディアン・タレントとして、テレビやラジオに活跃してきた人気者が、黒泽作品「まあだだよ」では重要な役どころを见事にこなし、俳优としての评価を得た。今回の出演は、彼のテレビは欠かさず见るというほどの大ファンである黒泽监督の强い希望で実现した。その期待を里切ることなく、内田百闲の门下生役を热演。作品にユニークな魅力を加えている。(埼玉県出身)
优秀赏山崎努「仆らはみんな生きている」


第3回、第13回に続き、3回目の助演赏受赏。また第8回、第11回でも、最优秀主演男优赏を受赏するなど、日本の映画界に欠かすことのできない実力派の役者である。「仆らはみんな生きている」では会社を爱する典型的なサラリーマンに扮し、哀愁漂う中年男性を见事に演じてみせた。また「水の旅人侍KIDS」では身长17cmの人物に挑戦し、観客に梦を与 えてくれた。(千叶県出身)
优秀助演女优赏
(C)日本アカデミー赏协会
最优秀赏香川京子「まあだだよ」


「赤ひげ」以来20数年ぶりに出演した黒泽作品「まあだだよ」で3度目の助演女优赏を获得。今回は、夫である内田百闲の子供のように自由な精神と暮らしを阴で支えつつ、教え子たちには母のように慕われる役どころ。男性ばかりの出演者の中で、作品にひなたのような温もりとほっとする安心感を与える重要なキーパーソンとしてスクリーンに存在した。(东京都出身)
优秀赏树木希林「梦の女」


作品によってガラリと表情を変えて登场、见るものを紧张させるほどの张り诘めた演技を见せたかと思うと、テレビCMなどで軽妙なキャラクターを见せたり……と日本を代表する演技派女优は样々な颜を持つ。4度目の受赏となった「梦の女」では、吉永小百合扮するヒロインを见守り、利用する复雑なキャラクターを热演。游廓という特殊な世界でたくましく生きる女に扮した。(东京都出身)
优秀赏竹下景子「学校」


知性をたたえた清纯な魅力でかつて“お嫁さんにしたい女优ナンバーワン”と言われたが、女优としてのキャリアに妻・母亲としてのキャリアも加わりいっそう幅広い役をこなせる女优にと成长した。「男はつらいよ」シリーズのマドンナ役として3回山田作品には登场した経験を持つが、初受赏となった「学校」では、样々に心の伤を持つ夜间中学生を优しく见守る女教师を好演した。(爱知県出身)
优秀赏檀ふみ「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


作家、檀一雄の长女として生まれ、1972年「昭和残侠伝 破れ伞」で映画デビュー。以后、テレビや舞台でも幅広く活跃している。今回、受赏となった「わが爱の谱 滝廉太郎物语」では、文豪・幸田露伴の妹で东京音楽学校の教授であった幸田延を热演。当时の音楽教师を代表するような人物像を作りあげた。また廉太郎のよき理解者として、厳しさの中にも爱情あふれる表情を见せている。(东京都出身)
优秀赏裕木奈江「学校」


今回、新人俳优赏とのダブル受赏を果たした期待の新星。テレビドラマやCMで见せるはかなげな少女の雰囲気とはガラリと表情を変えて挑んだ受赏作「学校」では、寂しさを心に抱え、髪を染めたツッパリ姿でしか自分を表现できない少女の役を见事に演じた。演技に対する天性の勘と、确かな演技力に支えられた人気で、今后が楽しみな存在である。(神奈川県出身)
优秀音楽赏
最优秀赏久石譲「ソナチネ」「はるか、ノスタルジィ」「水の旅人 侍KIDS」


「ソナチネ」「はるか、ノスタルジィ」「水の旅人侍KIDS」で3年连続の受赏を果たした。「それぞれに思い入れのある作品だが、良い作品に恵まれてやりがいのある年だった」と振り返る。「水の旅人~」では日本のエンターテインメント映画としてどこまでやれるかに、「ソナチネ」では北野监督独自の世界に拮抗できる个性をいかに発挥するかに挑戦。新たな久石ワールドを见せてくれた。(1950年 长野県)
优秀赏池辺晋一郎「まあだだよ」


「影武者」「八月の狂诗曲」に続く黒泽作品「まあだだよ」で6度目の受赏を果たした。オリジナル作曲した部分が无い今回の仕事での受赏には「正直に言うと、戸惑っている」と第一声を。その一方で「音楽监督という仕事は、作曲だけでなく、作品に対して明确なコンセプトを持って音楽をつけていくという面もあることを认识してもらうためには意味のある受赏だ」と语った。(1943年 茨城県)
优秀赏甲斐正人「虹の桥」


第6回に「蒲田行进曲」で最优秀赏を受赏して以来2度目の受赏となった。「虹の桥」では、撮影现场にも足を运び、スタッフやキャストの热気を追い风に作品に参加することができたと振り返る。「现代にはない人と人の关わり合いから生まれる人间讃歌が作品のテーマ。それを音楽面からサポートできればと考えていた」と语るとおり、子供たちへの応援歌としての音楽が印象に残った。(1951年 东京都)
优秀赏佐藤胜「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


第1回の受赏から今回で実に12度目。また最优秀赏にも3度辉く映画音楽の第一人者である。「わが爱の谱滝廉太郎物语」は映画音楽第300作となる。「今回、この1作だけで受赏できたことは非常に意味あること。音楽が主体となる作品なので、自分のことのような気持ちになって作ることができました」と语る。その甲斐あって本作では、観客の耳を存分に楽しませてくれた。(1928年 北海道)
优秀赏冨田勲「学校」


世界的なシンセサイザー奏者として多彩な活跃を见せるかたわら、映画音楽も手挂け「夜叉ヶ池」以来2度目の受赏を果たした。「学校」では「自然体の个性を持った登场人物の前面に立ちはだかることがないように、大きなバックグラウンドであることを心がけた」と语る。山田作品は以前から好きで、兴味を持っていたという冨田氏。その山田作品でのうれしい受赏となった。(1932年 东京都)
优秀撮影赏
最优秀赏斎藤孝雄/上田正治「まあだだよ」「虹の桥」


4度目のコンビ受赏となった「まあだだよ」。「役者もスタッフも现场では脚本を読み直さないほど准备に时间をかける黒泽组。受赏はその强力体制の成果」と上田氏。「虹の桥」とあわせての受赏となった斎藤氏は「贫しい生まれの子らの话で、暗くなりがちな题材の「虹の桥」を、明るく楽しく撮ろうと心がけた」と。(1929年 京都府)(1938年 千叶県)
优秀赏木村大作「新・极道の妻〈おんな〉たち 覚悟しいや」「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


今回で実に11回目の受赏となる。第10回には「火宅の人」で最优秀赏を受赏するなど、大作、话题作には欠かせぬ実力の持ち主である。今回は「新・极道の妻たち 覚悟しいや」「わが爱の谱滝廉太郎物语」の2作で受赏。时代の空気をつかんだ映像で観る者をうならせた。「映画らしい映像をいつも想っています。『わが爱の谱~』でのドイツでの交响楽の撮影は圧巻でした」と木村氏。(1939年 东京都)
优秀赏阪本善尚「はるか、ノスタルジィ」「水の旅人 侍KIDS」


大林映画で心に染み入る映像をとらえ、第12回に続き2度目の受赏となった。「はるか、ノスタルジィ」では「北の町の空気の冷たさをどう出すか」がテーマになったという。また特撮を駆使した「水の旅人侍KIDS」では撮影で一番大変な“水”に挑戦した。「受赏できたのは、新しい试みにたずさわってくれた技术の方たちのおかげ。皆さんに感谢します」と阪本氏。(1942年 奈良県)
优秀赏长沼六男/高羽哲夫「梦の女」「学校」


「学校」でともに2度目の受赏となった。15年前の企画段阶からタッチしていた高羽氏は「夜间中学を知ったときの惊きと感铭を忠実に観客に伝えたかった」と。また「梦の女」とあわせての受赏となった长沼氏は「映画馆に足を运ばない层の心を动かした『学校』と、话题作『梦の女』に参加できた良い1年でした」と语った。(1945年 长野県)(1926年 福岛県)
优秀赏浜田毅「仆らはみんな生きている」


「仆らはみんな生きている」の跃动感あふれるカメラワークで嬉しい初受赏となった。今回はオール海外ロケの作品だったが、ロケ地のタイらしさを排除。美术との连携で见事に架空の国を造り上げた。「暑さをどうだすか、そこに苦労した」と浜田氏。「今まで受赏は人の话と思って客観的に见ていましたが、実际、自分が受赏してその嬉しさを実感しています」と语った。(1951年 北海道)
优秀照明赏
最优秀赏佐野武治「虹の桥」「まあだだよ」


一昨年の最优秀赏を含めて6度目の受赏を数えるベテラン。「虹の桥」では四季を大切にするため、春夏秋冬の阳の高さから影の现われ方にまで気をつかい、舞台となる长屋も住んでいる人にあわせた光りでそれぞれの表情を変えていったと语る。また「八月の狂诗曲」以来の黒泽组「まあだだよ」ではオープンセットとセットの违いが见えてしまわないように心を砕いたと振り返る。(1930年 京都府)
优秀赏増田悦章「新・极道の妻〈おんな〉たち 覚悟しいや」「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


「今回で9回目の受赏となりますが、何度いただいても嬉しいです」と喜びを语る増田氏は「新・极道の妻たち 覚悟しいや」「わが爱の谱滝廉太郎物语」で受赏。シーンの意図を适格につかむこと、自分の感覚を见失わないようにすることを常に心挂けているという。「赏をいただけたのは、自分の仕事が认められたということ。私を支えてくれた助手の方に感谢しています」と语った。(1931年 京都府)
优秀赏高野和男/中村裕树「水の旅人 侍KIDS」「はるか、ノスタルジィ」


大林监督作品「水の旅人侍KIDS」「はるか、ノスタルジィ」の2作で今回が初受赏となった。「大林作品のブレーンとしてやってきて10年。仕事が评価され、嬉しく思います」と高野氏。中村氏は「これを励みにプロフェッショナルな技术と豊かな精神を身に付け、作品を活かす照明を生み出していきたい」と语る。(1949年 长野県)(1958年 熊本県)
优秀赏熊谷秀夫「学校」「梦の女」


昨年「おろしや国酔梦谭」で初受赏ながら最优秀赏を射止めた、今回「学校」「梦の女」の2作で连続受赏を果たした。久しぶりの白黒作品となった「梦の女」は昔を思い出しながら懐かしく仕事をしたと言う熊谷氏。一方初めての山田组となった「学校」では毎日が紧张気味だったそうだが「日常の风景がなるべく自然に见えることを心がけた」という言叶どおりの技术を见せた。(1928年 京都府)
优秀赏高屋齐「仆らはみんな生きている」


架空の南国という设定で、タイにオールロケした「仆らはみんな生きている」で初受赏となった。街をまるごと破壊する市街戦のシーンやジャングルでのロケなど撮影は困难を极めたが、南の国の光と影が见事に画面に映し出され、高い评価を得た。「とにかく暑くて大変でしたが、チームワークに恵まれて、いい作品になりました」と高屋氏。(1949年 青森県)
优秀美术赏
最优秀赏村木与四郎「虹の桥」「まあだだよ」


黒泽作品としては15作目となった「まあだだよ」で4度目の受赏。今回は「虹の桥」の美术も手挂け、「松山监督作品は初めてだが、黒泽组のキャメラや照明スタッフといっしょでやりやすかった」と语った。近年、中国や台湾の映画界が政治的なテーマを取り上げていることや、欧米の作品が美术に予算の多くを割くのに比べ、日本映画界の现状はあまりにもさびしいとベテランらしい苦言も。(1924年 东京都)
优秀赏井川徳道「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


今回で実に7度目の受赏、第5回では最优秀赏も受赏しているベテランである。今回は「わが爱の谱滝廉太郎物语」で当时の风景を再现。ロケとセットとの色の统一に苦労したという。また、东京音楽学校・奏楽堂の美术では窓、壁、色合いまでも忠実に再现、美术の第一人者としての実力を発挥している。「今の厳しい状况の映画界で、このような作品に恵まれて嬉しい」と井川氏。(1929年 京都府)
优秀赏木村威夫「梦の女」


今回が受赏8度目となる美术监督の第一人者。対象作品「梦の女」では、东京湾に向かって开けた洲崎游廓を千叶新川の河口に再现。「玉三郎监督の狙いをどう形にするかが难しかった」と振り返るが、永井荷风と玉三郎监督の描く“美”の世界をスクリーンにみごとに构筑した。もととなるシナリオは新派の舞台用のものということで、そのニュアンスや匂いも表现したかったと语る。(1918年 东京都)
优秀赏竹中和雄「水の旅人 侍KIDS」


今回「水の旅人侍KIDS」で嬉しい初受赏となった。ハイビジョン合成のテクニックを駆使した本作ではテクニックに振り回されないように気を使ったという。「キャメラの阪本さん、HDの技术者、そして美术の3者のコミュニケーションが大切でした。この话し合いがスムーズにいったことが成功の原因でしょう」と竹中氏。技术面での难しさを克服し、见事な仕上がりとなった。(1929年 东京都)
优秀赏出川三男/横山豊「男はつらいよ 寅次郎の縁谈」「学校」


「男はつらいよ寅次郎の縁谈」「学校」の2作にコンビを组んだ。「学校」では「夜间中学を访ねてロケハンを重ね、小道具も借りて现実に近い教室や教员室づくりを心がけた」と出川氏。横山氏が「美术が突出して目立つことがないように、逆に细かいところまで神経を配った」と语る通りリアルなセットが光った。(1936年 神奈川県)(1942年 北海道)
优秀录音赏
最优秀赏铃木功/松本隆司「男はつらいよ 寅次郎の縁谈」「学校」


「男はつらいよ寅次郎の縁谈」「学校」の2作でコンビとしては4度目の受赏。铃木氏は「松竹の社员のすべての方になんらかの形で助けてもらってきたので、この受赏を机にあらためてお礼を言いたい」と。松本氏は「监督との呼吸が合い、お互いのイメージを形にできたやりがいのある仕事だった」と语った。(1927年 神奈川県)(1928年 东京都)
优秀赏小野寺修「大病人」「眠らない街 新宿鲛」


若手监督との仕事を中心に活跃。昨年には、2度目の最优秀赏を受赏した期待の人物である。今回は「大病人」「眠らない街新宿鲛」2作での受赏となった。「大病人」では临死体験の场面での音作りに苦労したという。「映像を见て、音をイメージし、それを発展させました」と小野寺氏。また「眠らない街~」では夜の街やライブシーンの临场感を生み出すことに成功している。(1949年 宫城県)
优秀赏桥本文雄「虹の桥」「夜逃げ屋本舗2」


过去3回最优秀赏を受赏、日本を代表する录音マンとして知られる。今回の「虹の桥」「夜逃げ屋本舗2」での受赏については「自分と同じように映画を作っている仲间に选んでもらったことがなによりもうれしい」と。「虹の桥」では、音を演出するときのコンセプトとして『水』を意识。川の流れから井戸、雨など、样々な水の音をいかに取舍选択して使うかがポイントだったと语った。(1928年 京都府)
优秀赏堀池美夫/格畑学「わが爱の谱 滝廉太郎物语」


「わが爱の谱滝廉太郎物语」で初受赏。「音楽が全面に出る作品だったので准备に时间をかけました。労多き写真ほど记忆に残るといいますが、それを実感しました」と堀池氏。「古いオルガン、シンフォニ一、ピアノなど、样々な音の全体のまとめに苦労しました」と格畑氏。新しい技术导入への挑戦となった作品だった。(1953年 京都府)(1935年 京都府)
优秀赏宫内一男「ゴジラVSメカゴジラ」


「赏には縁がないと思っていたので大変嬉しいです。これもスタジオの关系者の方々のおかげです」と宫内氏。3作目のゴジラ映画、「ゴジラVSメカゴジラ」で初の受赏となった。音の数が多く苦労したというが、バトルシーンでは迫力ある音作りで手腕を発挥している。「特撮映画が受赏したということは『ゴジラ』映画が认められたということ。大きな喜びを感じています」(1940年 埼玉県)
优秀编集赏
最优秀赏冨田功「国会へ行こう!」「卒业旅行 ニホンから来ました」「ナースコール」「眠らない街 新宿鲛」「仆らはみんな生きている」


「楽しみながら仕事をする」をモットーとする冨田氏は、今回「国会へ行こう!」「卒业旅行 ニホンから来ました」「ナースコール」「眠らない街新宿鲛」「仆らはみんな生きている」で受赏。「軽快な作品が多く、样々な出会いが経験できました。编集赏があるのは日本アカデミー赏だけ。そこで受赏できることができて嬉しく思っています」と冨田氏。若手のリーダー的存在として活跃が期待されている。(1957年 东京都)
优秀赏石井巌「男はつらいよ 寅次郎の縁谈」「学校」


「家族」「故郷」「幸福の黄色いハンカチ」「息子」そして「男はつらいよ」シリーズと山田作品を数多く手挂け、今回二度目の受赏を果たした。「男はつらいよ寅次郎の縁谈」「学校」の2作での受赏について、作品のすばらしさが认められたことがうれしいと语る。また「学校」について「映画馆に多くの中学・高校生が足を运んでくれたことがとてもうれしく、勇気づけられた」と振り返る。(1933年 神奈川県)
优秀赏大林宣彦「はるか、ノスタルジィ」「水の旅人 侍KIDS」


第12回、第16回と监督赏を受赏してきたが、今回は「はるか、ノスタルジィ」「水の旅人侍KIDS」で初の编集赏受赏となった。编集は映画にリズムとメロディーを与え、命を吹き込むもの。编集しているときに、いちばん映画を作っていることを実感すると大林氏。「编集は撮影というお祭りの后で、ひとりで取り组む、作曲のようなものです。その编集部门で受赏できて嬉しいです」。(1938年 広岛県)
优秀赏奥原好幸「あひるのうたがきこえてくるよ。」「お引越し」「ゲンセンカン主人」「月はどっちに出ている」「中指姫」


若手编集マンの代表として势力的な仕事ぶりが光るが、今年も「あひるのうたがきこえてくるよ。」「お引越し」「ゲンセンカン主人」「月はどっちに出ている」「中指姫」の5作を手挂け、一昨年に続いて2度目の受赏を果たした。「あひる~」や「中指姫」では映画畑以外の出身监督と组むなど、すべて初めて组む监督だったが、それぞれに感性がマッチして、充実した仕事ができたと语った。(1954年 长野県)
优秀赏川岛章正「高校教师」「虹の桥」「ヌードの夜」「望 郷」「夜逃げ屋本舗2」


一昨年「大诱拐」で最优秀赏を受赏して以来、3年连続の受赏の快挙となり「とてもうれしい」と喜びを语った。今年度の対象作品は「高校教师」「虹の桥」「ヌードの夜」「望郷」「夜逃げ屋本舗2」の5作。大作から话题作までバラエティに富む作品を手挂けた一年だったが「どの仕事にも全力投球で取り组み、自分のペースを守ることを心がけていた」と振り返る。(1950年 东京都)
优秀外国作品赏
最优秀赏ジュラシック・パーク


ベストセラ一作家、マイクル・クライトンの小说をスティーブン・スピルバーグが监督したSF映画。现代に苏った恐竜たちが大暴れするという奇想天外なストーリーをSFXを駆使してスクリーンに再现し、话题を生んだ。縦横无尽に动きまわる恐竜のリアルさ、恐ろしさには目をみはるものがあり、世界中で大ヒットとなった。(UIP)
优秀赏クリフハンガー


「ダイ・ハード2」で世界をアッと惊かせたレニー・ハーリン监督が冬山を舞台に挑んだ大アクション作。心に伤を负った山岳救助队员が、地上4000mの绝壁で凶悪犯との戦いをくり広げる。リアルさを求めてイタリア・アルプスと米ロッキ一山脉にロケを敢行、迫力満点のシーンの连続で観客を惊かせた。主演はシルベスター・スタローン。(东宝东和)
优秀赏天と地


これまで「プラトーン」「 7月4日に生まれて」と、ベトナム戦争物を手挂けてきたオリヴァー・ストーン监督の集大成ともいえる作品。戦下のベトナムに生まれ、惊异的な生涯を送ってきた実在の女性、レ・リー・ヘイスリップの物语を映画化。初めて女性の视点で、そしてベトナム人の立场から“ベトナム戦争”を问いなおしている。(ワーナー)
优秀赏逃亡者


かつて视聴者を钉付けにしたテレビドラマ「逃亡者」のリメーク作品。设定を现代に置きかえ、无実の罪で追われる医师と、彼を执拗に追う捜査官という図式を前面に押し出し、スリリングな追迹剧が展开する。主人公を追う捜査官に「天と地」でも好演を见せたトミー・リー・ジョーンズが扮し、存在感のある演技を见せている。(ワーナー)
优秀赏许されざる者


人気俳优として、また実力派の映画监督として多くのファンを持つクリント・イーストウッドの监督第16作。年老いたガンマンを主人公に、无法の时代に生きた男たちの人间ドラマを见事に描き、异色のウェスタンとして内外から绝赞された。1992年度米アカデミー赏で最优秀作品赏を始め、最优秀监督赏ほか、4部门を受赏した。(ワーナー)
新人俳优赏
优秀赏岸谷五朗「月はどっちに出ている」


各方面で话题を呼んだ作品「月はどっちに出ている」に主演、本格的なスクリーンデビューを果たした。映画の中でのエネルギッシュな演技が评判を呼び、次回作へのオファーも相次いでいるとか。もともとは剧団スーパー・エキセントリックシアターの一员として舞台のプロデュースから、演出、主演をこなす存在でもある。著书もあるというマルチな才能が今后楽しみだ。(东京都出身)
优秀赏田代まさし「乳房」「クレープ」


バラエティ番组を中心に軽妙なキャラクターで人気の存在だが、映画初出演となった「クレープ」では14年前に别れた娘と再会する父亲の戸惑いやときめきを见事に表现。俳优としての可能性を示した。トレードマークの眼镜を外した素颜の演技は抑制がきいた好演と话题を呼んだが、年齢や父亲であるという设定が実生活に近いことも等身大の演技につながり、共感を呼ぶ助けになった。(东京都出身)
优秀赏萩原圣人「学校」「教祖诞生」「月はどっちに出ている」


テレビドラマ、舞台、CMと样々な分野で活跃し、若い女性から圧倒的な支持を受けている。昨年は「学校」「教祖诞生」「月はどっちに出ている」の话题3作に出演。意欲的な活跃ぶりが目立った。爽やかな好青年の颜と芯の强い男らしさが同居する个性の持ち主。演剧集団「アーリータイムリーズ」を主宰するなどの活动からも、人気先行でない演技派としての今后に注目が集まっている。(神奈川県出身)
优秀赏安达佑実「REX 恐竜物语」


“具が大きい”のコピーが流行语にもなった话题のカレーCMで一跃人気者になったアイドル少女。恐竜ブームの中、话题を呼んだ「REX恐竜物语」で映画初主演。全国の小学生を大量动员する原动力となった。大ヒットを记录したこの作品では、大人颜负けの演技力を见せ、その后のひっぱりだこの売れっ子ぶりはご存じの通り。末恐ろしい存在だ。(东京都出身)
优秀赏远山景织子「高校教师」


话题を呼んだテレビドラマの映画化「高校教师」のヒロインというラッキーなデビューを饰った。それまでいくつかのCMでガラス细工のように繊细な个性が注目を集めていたが、演技力は未知数。『透明な孤独感とでもいうような深さを表现している瞳』が买われて350名の応募者の中から选ばれた。难しい役どころへの挑戦だったが、周囲の期待に见事に応え、大器ぶりをアピールした。(东京都出身)
优秀赏裕木奈江「学校」


高仓健とCMで、绪形拳とテレビドラマで共演。大物俳优を向こうにまわして、しっかり个性を表现できる活跃ぶりで注目された。可爱らしいルックスで若い男性を中心に人気を集めていたが、昨年は「学校」でもベテランの演技派相手に好演。助演女优赏とのダブル受赏となった。将来が楽しみな演技派女优は、全国でコンサートツアーをこなす歌手いう颜も持っている。(神奈川県出身)
会长特别赏
优秀赏佐々木康


1929年に松竹に入社し、1931年には早くも自信のオリジナル脚本「受难の青春」で监督デビュー。作曲家の万城目正氏らと组んで数々の名曲映画をヒットさせ、歌谣映画のジャンルを不动のものとされました。终戦后には「リンゴの呗」で荒廃した人心を慰め、东映に移ってからは「旗本退屈男」シリーズや美空ひばり主演作品を手挂け、日本の映画界に足迹を残されました。
优秀赏ハナ肇


1955年にジャズバンド、クレージーキャッツを结成、リーダーとして活跃されました。また1958年「裸の大将」で映画に初出演。その后、「马鹿」シリーズ、「一発胜负」シリーズなどで人気スターとしての地位を确立されました。1989年度に「会社物语」で日本アカデミー赏主演男优赏を受赏されるなど、その功绩は永くファンの间で辉き続けるものであります。
优秀赏マキノ雅広


映画の父、牧野省三氏の长男として生まれ、幼い顷より日本映画界と深い关わりをもって、生涯を过ごされました。20岁までに169本の映画に出演、 1926年に18岁で富沢进郎氏と共同で手挂けた「青い目の人形」で监督デビュー。以后、「浪人街」等映画各社で261本もの作品を监督。また、多くのスタッフ、俳优を育て、日本映画界のために多大な贡献をされました。
优秀赏笠智众


1925年に松竹蒲田の俳优研究所に入所。10年以上の下积みの后1942年に小津安二郎监督作品「父ありき」で初主演。その后は小津作品にかかせない存在として多数の作品で活跃されました。また「男はつらいよ」シリーズで45本に出演。独特の存在感と谁からも爱される人柄で多くのファンを魅了されました。氏の生涯は映画人の范として永く心に烧きつくものであります。
协会特别赏
优秀赏荒井正一「映像・タイミング」


昭和30年に东洋现像所(现・IMAGICA) に入社。昭和38年以降30年间、カラータイミング一筋に「幸福の黄色いハンカチ」「复雠するは我にあり」「影武者」「乱」等数々の名作、话题作を手挂け、映画の映像美创造に寄与してこられました。最新作には栗山富夫监督の人気映画「钓りバカ日志6」など。(1937年 神奈川県)
优秀赏小川利弘「映像・オプチカル」


昭和34年に东京现像所に入社。永年に亘り、フィルムでの映像合成等の特殊技术・オプチカルを担当してこられました。「大诱拐」「君は仆をスキになる」などの他、「ゴジラ」シリーズなど高度な技术を要する作品を多数、处理されています。最新作は「ゴジラVSメカゴジラ」。(1941年 东京都)
话题赏

作品部门:「水の旅人 侍KIDS」


俳优部门:萩原圣人「学校」「教祖诞生」「月はどっちに出ている」